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着物のご先祖さまは「穴あきの布」だった!? 縄文〜古墳の装い

きものマガジンTPO&豆知識

ひもとく、きもの No.2 / きもの時間旅行 ①(縄文〜古墳時代)

縄文〜古墳の装い

 着物のいちばん古いご先祖さま、どんな形だと思いますか?

衿があって、袖があって、帯を締める――。今の着物の姿が整ったのは、実はずっと後の時代のこと。そのルーツをたどっていくと、はるか縄文・弥生時代にまでさかのぼります。

月に一度の「きもの時間旅行」。第1回は、着物の「はじまりのはじまり」を訪ねてみましょう。

 答えは、布に穴をあけて頭からかぶる「貫頭衣」

日本の衣服のもっとも古い形のひとつと考えられているのが、「貫頭衣(かんとうい)」です。その名のとおり、布の真ん中に穴をあけ、そこに頭を通して着る服。ポンチョのような形をイメージするとわかりやすいかもしれません。

中国の歴史書『魏志』倭人伝にも、当時の日本の女性は「衣の中央に穴をあけ、頭を通して着ている」と記されています。

貫頭衣ができるまで

 縄文人は、すでにアクセサリー好きだった

時計の針をもっと戻して、縄文時代へ。狩りや採集で暮らしていた人々は、動物の毛皮や、木や蔓(つる)の皮などを衣服に使っていたと考えられています。

驚かされるのは、おしゃれへのこだわりです。遺跡からは櫛(くし)、かんざし、耳飾り、首飾り、腕輪、足輪が見つかっていて、素材は動物の角や骨、牙、貝、石、焼き物までさまざま。「身を飾りたい」という気持ちは、数千年前から変わらないようです。

縄文のおしゃれさん

 布の幅は、たったの30センチ

弥生時代になると、大陸から伝わった技術で布を織るようになります。使われたのは「地機(じばた)」という素朴な織り機。たて糸の端を腰に巻いた帯に結び、体を後ろに引いて糸を張りながら織っていきました。

だから、織れる布の幅は人の腰幅ほどの30センチ前後。1枚では体を包めないので、2枚を縫い合わせ、首のところだけ縫わずに残して頭を通した――それが貫頭衣の正体だと考えられています。限られた幅の布を無駄なく使う工夫は、長方形の布をまっすぐ裁って縫う今の着物にも通じるものがあります。

地機で布を織る弥生の女性

 古墳時代の人は、着物を「左前」で着ていた

3世紀末ごろからの古墳時代になると、大陸の騎馬民族の服「胡服(こふく)」の影響が届きます。上着に衿と袖がつき、左右の前身頃を重ね合わせて着るスタイル。今の着物にある、前を重ね合わせる布「衽(おくみ)」は、この胡服がルーツという説があります。

当時の装いを伝える人物埴輪を見ると、上着はなんと「左前」。今の着物とは逆の合わせ方です。合わせ目は赤く染めた紐で結ばれていて、赤は魔除けの色と信じられていたと考えられています。

古墳時代のおしゃれな男女

ちなみに「おくみ」という呼び名、もとは「大領(おおくび)」だったものが「おくび」と言い習わされ、やがて「おくみ」と伝わったとされています。

話したくなる一言

「1700年くらい前の日本人は、着物を”左前”で着ていたんだって」

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